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2024年3月31日日曜日

語学学校のクラスメート「J」

ボストン郊外の小さな語学学校にて。

「J」は私が中退した某音大でトップクラスの成績を残したのち、ここへ来たと吹聴していた。

やれ高名な先生のプラべ(プライベートレッスン)を受けた、とか、過去日本で通っていた学校名とかを自慢してくるタイプ。

田舎者で反応の薄い私に、「東大に一番合格者を出してる学校だよ」と補足までしてくれた。

当時、私は学生ビザ保持のため、学費が最も安いここに転入。皿洗いしながらの音楽修行。

ドロップアウト後もアメリカに残りたくて、このような選択肢を取る者はたくさんいた。

ある日、「J」から「ウチに遊びにおいでよ」との誘い。

学校帰りにお邪魔した。

「このあとレッスンがあるから、一緒にプレーしない?」

ほどなくして現れたスキンヘッドの黒人さん。

生徒であり、その素振りから東洋人である「J」を尊敬しているのが分かった。

「J」の音など一度も聞いたことはなかったが、やっぱすごいんだなぁ、と思った。

”レッスン”はそれなりに楽しく終了。

そして帰宅しようとする私に「J」がかけてくれた言葉は、今でも私の中に残っている。

「今日のレッスン代、20ドルでいいよ」

まるで90年代に博多で蔓延った、ニュース〇ンみたいなやり口だが、

なんの悪びれもなく、さらに割引までしてあげてるんだよ、と自信を持つ「J」。

そのイメージは、今でもクスリとさせてくれる。

今は家業を継ぎ社長になっているらしい「J」。

たった20ドルで25年近く爪痕を残し続ける「J」は、やはり凄いのかもしれない。

ワサビ



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